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 さすがに街一番の商人というだけあって、グロスタールの店にはわれわれがこの世界にやってきてからは一度も見たことのないような活気と大量の商品とに溢れていた。金物や雑貨に限っても、今まで露店でもぐりの職人が製作していたものとは質が違っていたし、香料、織物、金属細工などといった奢侈品も山となすほど多く積まれていた。
「ヨハネス、ここには魔力のある品がたくさんあるぞ。さっきの露店とは大違いの良質な品々だ!」アレクセイはうきうきしたような口調で私に呼びかけた。
「そりゃあ店が違いますもの、当然でしょう。しかし、本当に本心から言ってるんですか? さっきはあの店主にあんなことを言っていたのに」
 私は、殊魔術に関して言うと彼を信用していなかった。
「いや、私は昔から魔力の多寡に限らずこういったものが好きでね。すぐいろいろと集めてしまうんだよ」
「職が見つからない限り買うのは禁止です」私は釘を刺した。
「それよりこの四分儀はなかなかのものだなあ。ペルシア製に違いない。ほら、ここにアラーの名が称えられている」
「なんですって」私は彼の指さした、黒檀に銀の象嵌の施された天文器具を見た。
「パフレヴィー語だよ。この世界にもパフレヴィー語話者がいたとはなあ」
「いや、というかわれわれの世界からサラセン人がここに来たとしか思えないんですけど。これはもしや……われわれを追ってきた?」
「そりゃないだろう。一ヶ月近くしか滞在していないのに、こんなものが市場に出回るはずがない。だが、移住者は必ずいるだろうなあ」
 そのとき、大変貫禄のある中年の男性がわれわれのほうに近づいてきた。ゆったりとした毛織物を纏い、儀礼的な愛想笑いが板についた男だった。
「何かお探しですか? どのような魔術用具も手に入りますよ」
「失礼ながらあなたがグロスタール殿でありますか? 私はあなたに魔術面での手助けをしたく存ずる、アレクセイと申すものです」アレクセイはそう言うと、きわめて慇懃に一礼した。
「聞けばあなたは数人の魔術師を雇いたいとのご様子。私は他の誰よりも適正な価格で、あなたの御用をお受けいたしましょう」
「わしに雇われたい? ふん」グロスタールの口調は急に尊大な様子になった。愛想笑いはどうやら、商品を購入する客にのみ向けられるもののようだった。
「魔法学院出身者であっても、わしはそうやすやすと無能な者を雇う人間ではない。わしの探している人材は優秀な魔術師だ。もちろんもぐりでも腕が立てば雇うが、そういう連中はみな魔術具の良し悪しもわからぬいかさま師だった」
「では、あなたは魔術具に隠された力を知ることのできる人間を探しておられるのですね? おお、あなたはなんと運のいい方だ。私こそはその秘術を会得した人間です」
「大口を叩きおって。ならば、この棚の商品の中で一番強力な品物を当ててみろ。魔力封じの呪文がかかっているから、通常の方法ではわからんはずだ」
「わかりました」
 アレクセイは商品の方を向くと、首に下げていた護符をつかんで目を閉じ、右手を前方にさまよわせた。腕はゆっくり左右に振れると、あるところでぴたりと止まった。
「この腕輪ですね。かすかに燃え盛る炎の力が感じられる……しかし魔力封じというよりも、これはよくできた幻影といった方がよろしいのでは? 見た目だけでなく、魔術師の知覚もたばかることの出来るような」
「確かにそれで正しい。しかし、みたところお前は魔法学院出身ではないが、どうして彼らでさえてこずる幻覚を見破ることが出来たのかね」商人はしぶしぶそう言った。見くびっていた相手の実力が、予想以上に高かったことに不満なのだろう。もちろんアレクセイは見た目どおりの人間ではなく、生粋の強力な魔術師であるのだが。
 しかし、彼らがよく口にする「魔法学院」とは一体どんなところなのだろうか。どうして、こんなにも尊崇されているのだろう。
「私自身は取るに足らないまじない師ですが、さる事情によりこの強力な護符を頂き、このような力を身に付けることが出来ました。この護符は好意によって譲られるかぎり力を顕しますが、売買したり強奪されればただの物質と化してしまいます。そこで、私は護符の力を使って人助けをしようと思い、このように流浪の旅を続けているのです」
「なるほど」商人は護符を手に入れたそうな顔つきをしていたが、好意によってのみ力が続くと言われてさも口惜しそうに頷いた。もちろんこれは嘘だったが、アレクセイは見せかけの宝物によって余計な厄介ごとに巻き込まれないように手をうったのだろう。
「では、お前をわしの店の専属の鑑定士として雇おう」
「ありがとうございます。して、具体的にはどのような仕事なのでしょうか」
「そうだな。実は、特別に依頼したい仕事があるのだ。わしの死んだ兄のものなのだが、今詳しくは話せない。明朝、その屋敷に行く途中で話そう」
 商人の声が、途中からその内心を表わしてか幾分低くなった。アレクセイの受けた仕事はどうやらまっとうな、とは言い難いものであるらしい。しかし彼は微笑みながら大きく頷き、商人に賛成した。
「ところで、彼はあんたの連れかね?」商人がいきなり私のほうに目を向けて、アレクセイに尋ねた。
「ええ。私の甥であり、助手でもあります」彼は如才なくそう言った。
「浮浪児にまとわりつかれていると思ったが。彼は役に立つのかね?」あからさまな侮蔑をこめた声だった。私は自分の頬が赤くなるのを感じた。我ながら、自分が垢じみていることは知っていたが、それほど汚かっただろうか。
「もちろん、と言いたいところですが、まだ助手になって日が浅いので役に立つとは言えません。いずれ仕事も身につくでしょう」
 仕事? 一体何の仕事だろう。私は一抹の不安を覚えてアレクセイを見上げたが、彼の若草色の眼には何の表情も浮かんでいなかった。商人が客の応対をしにわれわれのもとを離れると、アレクセイはにんまりと笑った。
「どうやら、幸先が良さそうだな。こんなに早く仕事が見つかるとは」
「しかし、いいんですかね。護符の話も嘘、鑑定の専門家でもないのに」
「あのはったりはともかくとして、私だってあれくらいの魔力感知は出来ないわけがない。こういった感知魔法は数ある魔術の中でも術者の正体がわかりにくいものだから、今の私にはぴったりだな」
「では、その逆に誰が使ったかすぐにわかってしまう魔術はあるんですか?」
「そうだなあ、強力な魔術はすぐに術者を嗅ぎつけられるだろうな。あるいは、他の存在に対して積極的な、つまり傷つけるなどといった魔術も然りだ。こういった魔術はたとえ術者について隠しおおせたとしても、魔術を使ったこと自体を隠すことは不可能だ。そのくらいさまざまな秩序を乱し、神々や魔物の注意を引きやすい」
「では、魔術師というよりも鑑定士として生計を立てたほうが良さそうですね」
「まあね。感知魔法なら、それなりに力を使ってもごまかせそうだ……個人的にはこういったものは好きではないんだが」
「好き嫌いを言える立場ですか」私は辛辣な口調でそう返した。
「そうとも言う。だが、ほかになんと言えばいいのかね? 私がそんな仕事を受けるということに対して」
 アレクセイは奇妙な表情でそう言うと、私を連れてわれわれの宿泊している木賃宿に帰っていった。


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