アレクセイシリーズ

水晶の墓標

 日はすでにとっぷりと暮れかかっており、荒涼とした旧街道を歩く人と馬の影を黒々とひきのばしていた。
 年老いた葦毛の馬を牽いている男は粗末な灰色の衣をつけ、その肩に掛けた荷袋と埃にまみれた様子から遠方から来た商人か傭兵のたぐいとわかる。しかし、その身にまったく武器を帯びている様子がないことは、多くの人を戸惑わせるだろう。長旅には危険がつきものであるのに、彼はどうやってそれらから身を守るのだろうか。
 彼のゆくてに、やや唐突に古びた城館の姿が現れた。見捨てられて久しい旧街道に、ひなびた掘っ立て小屋に住む小作人のほかにまだ住人がいたとは驚きである。そう思ったのか、城館に瞬く光を見つめている彼の眼はすっと細められた。
 男はしばし立ち止まって考えているようだった。しかし、すぐに城館の方へと馬を導きはじめた。

 男が城館の、青銅を緻密な悪鬼の形に鋳込んだ門の前に立つと、声もかけないうちにそれは動きだした。燦々と城館の内を照らす灯火が彼の目を射たが、立て続けに女の澄んだ声が聞こえた。彼が女に視線をむけると、蝋燭を後光にしたそのはかなげな顔は美しく、絹のように背に流れる黒髪が蒼白な肌を強調していることがわかった。
「お待ち申し上げておりましたわ。失礼ながら、少々の魔法を使ってあなたがこちらへいらっしゃるのがわかったものですから。さあ、上がってください。おもてなしをいたしますから」
 女は、彼の目の前に立つとそう言ってその腕を取り、磨きたてられた瑠璃と大理石の床板へとその足を導いた。ほっそりした手が彼の持った手綱を受け取り、手早く門の柱に引っ掛けた。
「さあ、お上がりになってください。馬はあとで私が厩に入れますから」
 そう言われて彼は応接間らしきところに連れて行かれた。彼が絹と毛皮に覆われたソファに腰を下ろすのを見届けると、女は馬を小屋に連れて行くと言って部屋を出た。
 彼は部屋を見回して、この城館がいかに贅を尽くされたものであるかを確認した。金緑石を彫りだしたテーブルは古雅なレリーフに飾られ、広い部屋のそこかしこに蝋燭の明かりが灯っていた。しかし、それにしてはこの贅沢を維持するための召使の姿を彼は一度も見たことがないのが不審だった。この城館には、一見塵一つ落ちていないかのように見えるのだが。この地には魔術の匂いが染み付いている、と彼は一人ごちた。
 ややあって女は、大ぶりの黒檀の箱を抱えて部屋に戻ってきた。彼女は男の向かい側のソファに座ると、黒檀の箱を卓上に載せた。
「私はこの館の女主人です。もし違っていたら失礼ですけれど、あなたは商いをなさるお方でしょう?」
 女の言葉に、彼はほとんど驚いた顔をしなかった。
「そうです。私の到来をわかっていたのならば、私の職業もお分かりになられているだろうから驚きはしませんが。私の名はアレクセイと申します。主に魔力のある品々を商う者です。どうかお見知りおきを。それで、あなたは?」
「私はユリアと申します。あなたが話のわかるお方で嬉しいですわ。ここに商人の方が通りかかるのは二年振りなものですから、つい先走った真似をしてしまいました」
「二年振りとは、ずいぶんお待ちになられたことでしょうね」
「ええ。しかしそれも自業自得と言うべきことかもしれません。じつは、私の家柄はさる昔にここに住みついた魔術師の家系なのです。しかも、よこしまな魔術を扱うことで有名な。その血なまぐさい噂は世間にあまねくひろがり、ついにここに通っていた街道は廃れて新たな道がずっと遠くのほうに、私たちの城館を迂回して造られました。
 それから何世代も経って黒魔術の伝統は子孫たちの記憶の奥底に封じられ、私たちは城館の中でつましく暮らしていました。ですが、わが家系というだけで目術師たちから爪弾きにされ、他に生計を得ることもできずにいたためについには金銭的に困ってしまいました。
 どうか、私が先祖から受け継いだ宝を一つか二つお買いになってください。おいくらでも構いませんわ。どうせ、私たちには宝の持ち腐れです」
 そう言うと、女は黒檀の箱の蓋を開けて、中身をアレクセイの目の前にぶちまけた。きらめく緑柱石、紅玉、青石などが燦然と箱の中で光っている。しかも彼の魔的な視力には、それらの物品のなみなみならぬ魔力の輝きが捉えられた。
「これは素晴らしい。あなたの先祖はさぞ苦労してこれらの宝を造り、あるいは得てきたのでしょうね」
 女はそれを聞くと、ほっとした表情で無造作に腕にはめたエメラルドの腕輪を抜き取り、彼に差し出した。
「これも手放すつもりでいますの。母親から受け継いだのですが、私にはもう用のない宝です。どうぞお受け取りくださいな」
 だが、アレクセイは差し出された大粒のエメラルドにきらめく腕輪を受け取らなかった。
「私には、残念ながら今これらの宝に見合うだけのお金を持っていません。商品を仕入れたばかりなので、この先の街に行って運よく品物を売ることができたのならばまたここに来てあなたの宝を買うこともできますが、その見込みは少ないでしょう。もう少し待って、他の商人を見つけることはできませんか? あるいはもしよかったら、私が街の商人に話をつけてみましょうか」
「そのお申し出はありがたいのですが」女は顔を曇らせた。「しかし、明日私たちが唯一懇意にしていただいている商人の方がここにいらっしゃるのです。それでなにかと入り用な物を買うことができるのですが……」
「では、その方にお買いになっていただくというのは?」
「できません。その方にお願いしてみたのですが、それほどの大金を持ってここにやってくる方ではありませんし、自分の専門にしているものではないから売りさばけないと言われました」」
「では、人をお雇いになればよろしいのです。街に住む富裕な商人ならば、間違いなくどんなに大金を積んでもあなたの宝を得たいと思うでしょう」
「この館はほとんど魔術で維持されておりますの。召使たちを雇おうと思っても、このような辺鄙な、暗い噂につきまとわれたところにはみな来ようとも思いませんわ。それを見越して、私たちの先祖はこの内部のみで自活できるように館を設計しました。維持にお金と品物が必要なのは、違うものなのです」
 女はすっと立ち上がって、応接間を出て回廊の突き当たりの扉を開けた。何も置かれていない、ほんの小さな部屋がそこにはあったが、そこだけ明かりをまったく灯されていないのでぽっかりとした穴のようだった。女が小部屋の象牙の床板を引っ張り、地下へと続く階段を下っていったのを見ると、アレクセイもまたその階段を下りた。
 急な階段を降りきって地下室に立つと、燐光をはなつ水晶の壁が現れた。分厚い水晶の向こうにはさまざまな種類の草木が繁茂している。
「これが私たちが代々守ってきた温室です。これを維持するのに莫大な手間と貴重な品々が必要なのです」
 ユリアは誇らしげな顔でそう言った。壁に手を触れると、その一部に人ひとりが通れるくらいの穴があいた。
 女とアレクセイが温室の中に入ると、地上かと思うくらいのまぶしい光と植物独特の匂いが彼らの感覚を占めた。膿んだ傷口のような紫色の花が重々しげに下をむき、靄のように繊細な地衣類がさやさやと動いた。
「ここにしかない貴重な植物がたくさんあります。あの紫色の花はどんな動物にも夢幻の感覚をひきおこしますし、全体が淡青色の草は特殊な毒がなければ育ちません。また、一部の草木には注意してくださいませ。肉食性ですから」
 「そうしますよ」
 それを聞くとアレクセイは微笑んで、しつこく彼に纏わりついてくる苔や身体を抱きしめようとする蔦を手で追い払った。
「しかし、私がもしお金を用立てることができても、いつかは宝もお金も底を尽きてしまうでしょう。もしこれを維持するのが困難でしたら、いっそのこと……」
「いいえ。それは出来ません。この植物たちの世話は私たちに託された唯一の仕事です」
 ユリアはアレクセイの提案を冒涜的なもののように思ったのか強い口調で遮った。
「しかし、いつかはそうなってしまいますわね。そしてそれが今なのかもしれません。
 それでは、お金の件はもういいですわ。そのかわり、私の頼みを聞いていただけませんかしら。代価はあなたの欲しいだけ差し上げますから」
「頼み、ですか? 私の可能な範囲でならお受けいたしますとも」
「では、ここの街道をまっすぐ西に向かったところにある街に行って、私の兄を探してくださいませんか? 兄の名はレオンと申しまして、私と髪の色も目の色も同じです。兄は私のようにこの館にとどまることを拒んで、十六歳のときここを出て行ってしまいました。それからずっと会っていないのですが、こうなりましたら――」
「彼をここに呼び戻して、二人で生計を立てていきたい、と?」
「いいえ! そんなことを思ってはおりません。私はただ兄に一目会いたいのです。そうすれば、このあとの身の振りかたにも自信がつきますもの」
 アレクセイは肩をすくめた。
「そういうことでしたら、その依頼はお受けいたします。お兄様を説得することにかんしては手前味噌ながら、太鼓判を押させていただきます。必ずや彼をこちらにお連れ申しあげましょう」
「ありがとうございます。――しかしあなたの説得の如何にかかわらず、兄は家族である証を見せればすぐに私の元にやってくるはずですわ。これを見せてやってください」
 ユリアはそう言うと、彼に自らの指に嵌めた指輪を与えた。銀色に輝くそれは透明な水晶を嵌めこんだもので、銀の部分に文字が刻まれているほかは何も細工は施されていなかった。魔力をまったく持っていないのも、豪華絢爛なこの家の宝飾品にしては場違いなくらいに平凡なものだった。
「あなたの能力を疑うつもりはないのですけれど、ぜひこの指輪を見せてください。そうでもなければ兄がここに戻ってくることなどありません。ずいぶんここを嫌っていましたから」
「しかし、なぜこの指輪を見せただけで彼が承諾するのでしょう。この指輪こそあなたとこの館を思い出させるものでしょうに」
「約束があるのです。それに、兄には無理なのです。私たちの家系から逃れることなど。
 この仕事の前払いとして、これを差し上げますわ。兄がこちらにやってきましたら、さらになにか差し上げます」
 ユリアはアレクセイに、彼がさっき受け取らなかったエメラルドの腕輪を押し付けた。アレクセイは驚いた声をあげた。
「これはこの仕事の報酬全部としても高価すぎますよ。お手元に置いておいたほうがいいのではないですか?」
「いいのです。どうせ私にこの価値なんてわかりませんもの」ユリアは無頓着な視線を腕輪にやった。
「これを私が街に出て売って、報酬として多すぎる分をあなたに返す、というのは?」
 アレクセイがたまらずそう言うと、ユリアはにっこり笑った。
「あなたは商人でしょう? それなら私の話がどんなに自分にとって有利すぎる内容でも、いいカモを捕まえたと思っているだけの方がよいのではないかしら。きっとまだ商売をしはじめてから日が浅いのでしょうね」
「確かに、あなたはよすぎるカモですよ」アレクセイはそれを聞いてにやりと悪ぶった微笑を浮かべた。「では、その腕輪をお受け取りします」
「そう言ってくださると思っていましたわ」
 ユリアはそう言うと、上に食事の準備が出来ているといって温室を立ち去った。アレクセイもそれにならって地下室を後にした。

 翌日、彼がユリアに言われたとおり旧街道を西に進むと、はたして一つの街の城壁が見えた。城壁はものものしかったが、それは最近になって補修をしたようであった。常ならばこのような都市国家の門は行き来をする商人や民衆たちで賑わっているのだが、今この門の近くにいるのは見張りの兵士たちだけだった。なにか異変でもあったのか、とアレクセイはいぶかしんだ。
 彼が城門の前までやってくると、いかめしい顔つきの兵士たちが彼を取り囲んで槍を突きつけた。
「このアスミリアの街に何の用だ」
 兵士の一人が彼に誰何した。アレクセイはさも心外そうに言った。
「私は商人です。ここに来たのはただ商売するためですのに、なぜこのような扱いを受けなければならないのでしょう」
「商人だろうが誰であろうが、ここを通ることは許されない。立ち去れ。さもなければ密偵として逮捕するぞ」
 見張りの隊長らしき男は低い声でそう言うと、兵士たちに頷いてなにか合図をした。兵士たちはさらに槍の輪を縮め、今にもアレクセイを捕縛する態勢に入った。
「困ります。私はさる方に用事を頼まれたのです。密偵ではありませんのでどうかお見逃しください」
 アレクセイは隊長の眼を見ながらそう言うと、懐に手を入れていくらかの銀貨を取り出そうとした。しかし、隊長はそれを能面のような顔で押しとどめて兵士に逮捕せよと命令した。
 兵士たちが一斉にアレクセイに掴みかかって拘束すると、隊長は彼を上官のもとに連れていくと言った。
「われわれは鼠一匹この街に入れないことになっているのだ。さる方が誰かは知らないが、お前こそわれわれがもっとも注意しなければいけないたぐいの人間だな。われわれの上官どのがお前を締め上げるだろうから、観念してすべて話すがいい」
 アレクセイは黙っていた。兵士たちが彼を小突きながら城壁の見張り塔の狭い石の階段をのぼらせた。
 塔の天辺にやってくると、兵士たちはそこに一人たたずんでいた将校の前にアレクセイをつきだした。
「百人隊長殿、密偵らしき行商人を捕まえました」
 百人隊長と呼ばれた男が彼らのほうを振り返ると、その顔が意外なくらい若いことをアレクセイは見てとった。ユリアと同じように黒髪で眼は青く、端正な面持ちの青年である。
「牢に入れて尋問しますか?」
 兵士はかしこまって青年に聞いた。
「いや、その必要はない。われわれは一日に十人はこういう奴を尋問するが、そのうち一人でも牢に入れなければならないほど手強い男はいないからな」
 どうやら百人隊長はその部下たちとは違って、ユーモアないしは皮肉を解する人間らしい。アレクセイはそう思った。
「で、お前の名前はなんというのだ?」
 青年は大して訊く気もないような声でアレクセイにたずねた。
「アレクセイです。失礼ながら、閣下の名前をお訊かせください」
「私の名はレオンだ。お前はどんな用事でここに来たのだ? 行商人が単なる不運でこの街にやってきてしまったという気かね?」
 アレクセイは、彼こそが捜しているユリアの兄だとわかって思いもかけない幸運ににやりと笑った。彼は窓から眼下に見える家々を見下ろしながら言った。
「大まかに言えばその通りです。しかし、私にとってこういうなりいきは不運というよりも幸運と言うべきかもしれませんね」
「馬鹿なことを」
 アレクセイは彼の思わせぶりな言葉を鼻で笑った青年の顔に、ユリアから借りた水晶の指輪をつきつけた。
「私は彼女に、あなたを探すように頼まれたのです。こんなことがなかったら私はもっと苦労してあなたを捜し求めていたことでしょう」
 青年の顔は当惑から不審へ、不審から怒りへと変わった。
「あの女に頼まれたのか! 私はもう館へは戻らない。早くここを離れて帰るがいい」
「彼女はご自分の妹ですぞ。いかに館の暮らしが窮屈であったとしても、彼女があなたの助けを求めているのですから、ほんの少しでいいからお帰りになったらいかがです」
「帰ったら妹は私を館に繋ぎとめようとするだろう。そしてあの死にかかった植物たちの世話に大金を費やす、ろくでもない生活をしつづけるんだ。私はもう二度とあんなよどんだ生活をしたくはない」
「いや、彼女はあの温室を手放すつもりでいるのですよ。あの館にはもう二年間も商人が通りかからなかったのです。旧街道は見捨てられ、もはや彼女は金銭にも事欠いているのです。ですから、あなたは妹君を説得してここに住まわせたらいかがですか。そうすれば二人で新しい生活が出来るというものです」
 青年はアレクセイの言葉に苦い嘲笑を返した。
「ここに、だって? この街はこのところずっと政情が不安定で、いつ内乱になるかわからないんだぞ。おそらく、だからあの館に商人がやってこなくなったのだ。妹は知らないが、この街が危ういことはここを通る商人なら誰でも知っていることだからな。それに、妹があの館を手放すはずがない。できるはずがないのだ」
「しかし、あの方はなにか思いつめていらっしゃるご様子でした。もしやのっぴきならないご計画を立てているのでは……」
 青年はそれを聞いて動揺したらしく、しばらくは眉をひそめて考えていた。
 やがて、彼はひどく苦々しい口調で頷いた。
「わかった。妹のもとに行ってみよう」
 そう言うと青年は兵士に馬を連れてこさせて、二人は馬上の人となって館を目指した。

 アレクセイたちが館に戻ってきたのは夕暮れだった。昨日とは違って何の出迎えもなかったので二人は勝手に館に上がると、応接間に向かった。
 しかし、応接間にもユリアの姿はなく、館のどの部屋を探しても彼女の姿は見当たらなかった。
「もしかして、また地下室にいるのかもしれない」
 レオンがそう言ったので、アレクセイはなるほどと頷きながら小部屋の床板をはずした。するとレオンがまず地下に続く階段を下っていった。するとすぐに青年は驚くような声を上げた。しかし、ユリアの声は聞こえない。
「どうしましたか」
 アレクセイはそう言ってからいそいで階段を駆け下った。
 水晶の壁越しに、ほとんど全裸の姿のユリアが横たわっているのが見えた。レオンはそれにいまにもとりすがろうとして、目に見えない扉がすっと開いたのをいいことに温室に躍りこみ、血の気のない顔をした自らの妹の身体を抱いた。
 ユリアは、死者特有の蒼白な美しさで輝くようだった。裸体に目も眩むばかりの宝石で編んだ鎖だけを身につけ、まだほとんど死斑の出ていない顔には謎めいた微笑が浮かんでいた。青年はその白い肩を、胸を愛撫し、滑らかな下腹部に愛しむように手を滑らせた。
 温室の扉はいつのまにか閉ざされていた。アレクセイは温室の中で繰り広げられる光景から目を背けて地下室を出ようとしたが、そのとき急にレオンの身体が痙攣を起こし、その顔は苦痛にゆがんだ。
 アレクセイははっとして温室に入ろうとしたが、その扉はもう開かなかった。透明な壁ごしに植物が次々に枯れていくのが見えた。毒ガスが流れたのだ。彼はユリアとその兄が抱き合うようにして死んでいるのを凝視した。
 ユリアは、戻ってこない兄に復讐しようとしたのか。あるいは、もう先の見えない自分の人生に絶望して自殺し、ついでにだれよりも身近な兄を道連れにしようとしたのか。あるいはレオンはこのことを予想していたからもうここには戻らなかったのかもしれない。結局のところ、彼自身にもわからないものに引きずられるようにして、ここにやってきてしまったのだが。アレクセイは肩をすくめた。ともあれ、もうここに用はない。そう思って地上につながる階段を昇り、はずした床板を元に戻して応接間に戻った。
 応接間のテーブルには、無造作にこの館の宝が広げてあった。みずから死んだユリアが、彼に約束した報酬のつもりでここに置いたのだろう。アレクセイはおびただしい数の財宝のなかから、いくつか目ぼしいものを選んで肩に下げた荷袋の中に詰め込んだ。
 これは高く売れるだろうな、と彼は心中で思った。あるいはいくらかは自分のために残しておくかもしれないが。これも一つの儲け話かと思うと、ひとりでに苦い笑いが彼の唇に浮かんだ。
 アレクセイは館を立ち去る最後に、だれか粗暴な人間に押し入られることがなければいいと思っているかのようにしっかりと青銅の門を閉めた。館はすでに墓標なのだ。
 彼は馬に乗ると、アスミリアとは反対方向、つまり彼がもと来た方向に向かって馬を走らせていった。

Copyright (c) 2007 fiasyaan All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system