アレクセイシリーズ

シェアワールド投稿作品「悪魔の窓」

 乳白色の靄にかすむ、アスファルトで舗装された道路を私たちは歩いていた。そう、私はアレクセイになんやかやとだまくらかされて、またこの霧生ヶ谷市にやってきてしまったのだ。
「それで、今回は一体何の用で来たんですか」私は目の前で黒いボストンバッグを肩にかけて歩くアレクセイにたずねた。
「もちろん、商用だよ。これを買いたいという客がいてね」アレクセイは肩からかけたそれを軽く叩いてそう言った。
「へえ。あなたがなにかを売りつけるなんて久しぶりのような感じもしますが」
「そんなことはないさ。この前だっていらないガラクタを売り払ったし。これも骨董品だが私には必要のないものだからね」
「必要がないと言えば、あなたのコレクションの大部分があなたには必要がないんじゃありませんか。実用から見ても能力的な問題でも」
 彼はだからなんだと言うように肩をすくめた。アレクセイの欠点は数え切れないくらいあると思うのだが、その最たるものがこのガラクタ愛好癖であった。
「あんたたちは誰?」
 甲高い少女の声で唐突にそう言われて、私たちは背後を振り返った。見ると、二人の少年と一人の少女が立ち止まって私たちのほうを見つめていた。
 少年のひとりはどうやら私と同じくらいの年(もっとも、日本人の子供の年齢を当てるのは私にとって難しいことだったのだが)で、どちらかといえば控えめな柔和な面差しだった。もう一人はもっと幼く、落ち着きのない視線でわれわれの方を見ていた。そして私たちに声をかけた少女はと言うと、まるでこれから戦いに赴くような挑戦的な眼差しで私たちをまっすぐに見据えていた。
 人間同士というものは、短い時間のあいだに言葉によらず、たくさんのことを伝えあうものである。私が彼らと出会い、次の行動に移るまでの間におそらく私が今まで書き上げてきた文章に含まれるよりずっと多くの情報がやりとりされていた。だから私が第一印象にのっとって、年かさの少年の方とは付き合いやすいだろうと予想し、また幼いほうの少年とはお互い理解するまで付き合うことはないし、むしろどちらかと言えば付き合いたくないほうだと思い、そして少女については、彼女のような存在を私が理解することはないだろうと考えたとしても、それは本質的には間違っていないはずである。しかし、彼らはそれなりにちゃんとした身なりで、顔立ちもわりと整っていたのに、なぜか私には自分と同じくらいの年の子供と出会った、という一種の安心感というものがなかった。
「私はアレクセイといいます。別に君たちが注目するような人間ではないのですが、何か?」「こんなに霊子を乱しておきながら普通の人間なんて言わないでよ。この町に一体何の用なの?」
「だから商用だよ。霊子なんて知らないが、もしかしたら私の荷物が君たちの気を引いたのかも知れんな。大したことはないよ。ただのいわくつきの骨董品なだけで」
「骨董品ですって」
 少女たちは胡散臭げな目つきだった。まあ、たしかに私たちはうさんくさそうだが。
「もしそんなに私たちのことを疑っているのなら、このバッグの中身を見せてあげよう。危険なものではないことを証明するためにね」
 そう言うと、アレクセイは近くのベンチに座り、彼らを手招きした。彼らは素直にそれに従いアレクセイの周りに集まったので、私はベンチの後ろ側の、アレクセイの背後に立った。
 アレクセイはボストンバッグを開けて、中から両手で抱えるくらいの大きさの板を取り出した。それは金属製の三枚の板が、ちょうど観音開きになるように重ねられていて、その表面には人面獣、獣面人、多頭竜、ラミア、牧神などありとあらゆる想像上の奇怪な生物たち妖魔たちの姿が浮き彫りになっていた。
「これは<悪魔の窓>という。この内部はある種の鏡(スペキュラ)となっていて、こうやって閉ざされている状態では常に荷電粒子が反射しあってフィールドを形成している。通常は鏡を開けた瞬間にフィールドは崩壊し、鏡はただ光を、われわれの像を反射しはじめるだけだが、この鏡は短時間だけそれらのエネルギーを蓄えることができるのだ。ところで、粒子はそれぞれ鏡の中にとらわれているわけだが、もし反対方向からやってきた粒子同士が衝突したらどうなると思う? そう、互いに打ち消しあってしまうだろう。しかし反対に、同じ方向をむいて進んでいる粒子が衝突したら、まるで同じ大きさの波が重なり合ってより大きな波になるように、粒子は加速するだろう。そしてしまいには、光の速ささえ超えてしまうはずだ。光の速さを超えれば、粒子はこの世界にいられなくなってしまう。だからそれは別の宇宙に行き、減速するとまたこちらの世界にやってくるのだ。
 そうすると、その粒子が向かう鏡というのは、事実上その別世界に向かって開かれた鏡に等しくなる。つまり、われわれが垣間見ようとしている世界にね」
「じゃあ、もし私が閉じた鏡の中を見ることができたのなら……」
「いや、もし君が閉じた鏡の中に入ったとしても、光はすべてをだめにしてしまう。そして、光がなければ君は鏡を覗き込むことはできない。鏡というものは、光がなければ無に等しいものだから」
「そんなことより早く見せろよ」
 活発な方の少年がそう言ったので、アレクセイは<悪魔の窓>を開けた。
 鏡には、なにか荒涼とした薄暗い土地が映っていた。赤茶けた大地の上に、小さな人影のようなものがいくつか群れをなしていた。
「触ってもいいかしら」
「今のところはね」
 少女の問いに、アレクセイは半ば愉快そうな声で答えた。
 人影は、だんだん大きくなってきた。われわれのところに近づいてきているのだ。そしてようやくその人影の細部がわかると、われわれはその気持ち悪さに呻き声を発した。
 最初人のように見えたものは、薄汚れたたるんだ皮膚を持ち、犬のような前かがみで動く怪物だった。鉤爪は鋭くひび割れていて、なんとも不潔な生物だった。
「あ、あれはなに?」
「食屍鬼だよ。死体を常食とするんだ」
 それはだんだんとわれわれの方に近づいてきた。そして明らかにわれわれに視線を合わせると、ふんふんと鼻を鳴らしながら手を突き出してきた。
 少女が悲鳴を上げると、どこからともなく炎が現れて鏡の前で渦巻いた。アレクセイはすぐに鏡を閉じると、少女の手をつかんだ。
「やめなさい。食屍鬼はわれわれに何もできない」
 そう言うと、アレクセイは少女の手を離して鏡をバッグの中に仕舞い込んだ。少女が炎を出したというのか? それはあまりに考えづらいことであった。
「あんな恐ろしいものを見せるなんて、私たちに喧嘩でも売ってるの? 危険なものじゃないって言ったのに」
「そう、危険なものではない。ただの映像だからね」
「<悪魔の鏡>とはよく言ったものね。とにかく、あんなものは何もしなくても危険なものよ」
「悪魔は食屍鬼を指して言った物ではないんだ。これはあの世界の住人がつけた名前で、つまりわれわれ自身が悪魔なんだよ。彼らに言わせればね」
「なぜ?」
「彼ら不死の者からすれば、生きている存在がどれほどいとわしいものであるか知っているかね。いうなれば、彼らは死という終わりの後の世界、時間とともに増大するエントロピーが最大の世界に住んでいる。しかるに生物というものはエントロピー的に言えば未成熟の存在であり、かつ生の力そのものがエントロピーとは逆向きに進むものなのだ。われわれとその肉体は組織を形成し、物を分類し、低いところから高いところに物を移動させる。彼らにとってのわれわれは、熱力学者にとってのマクスウェルの悪魔なんだ。生命は彼らの論理からすれば言語道断のものだからね」
「よくわからないなあ」
「しかしマクスウェルの悪魔はだんだんと熱を持ってしまい、いずれは冷やさなくてはならなくなるだろう。そのように、生物はいつか死ぬのだ。そして、世界はその間だけ、ある種の永久機関であり続けるだろう」
 アレクセイはそこまで言うと立ち上がった。
「君たちは私をまるで人間でないかのように言うが、それは君たちにも当てはまることではないかね」
 私はそこではじめて彼が怒ったとき特有の無表情な顔をしていることに気がついた。
「一つ忠告をしておくが、君たちと同じく人間を装っている存在を見かけたとしてもそれを指摘するのは賢いやり方とは言えないな。君たちはもっと礼儀正しいものだと聞いていたが。それと、君たちのお祖父さんにはよろしく言っておいてくれ」
「ジジの知り合いなら早くそう言えばいいんだよ。悪意を持った奴がこの町にやってきたと勘違いしたじゃないか」
「別に知り合いというほどでもないが、知り合いだからといってそれを君たちのような者に言う必要があるかね」
 アレクセイがそう言うと、彼らはひどい、なんて奴だと口々に言って騒いだ。アレクセイはそれを気にかけず、大通りにむかって歩きはじめた。私はそれを追った。
「もしこれ以上私を煩わせたら、この鏡で見せた世界に投げ込むぞ」彼は嘘か真実かわからないくらいの陽気さでそう脅すと、それはいやだなあと少年の一人がのんびり呟いた。
 その一連のやり取りをぼうっとしながら聞いていた私は、向こうから歩いてきた幼い少女を慌ててかわすと、やっとよくわからない少年たちから解放されてせいせいした気持ちでアレクセイの後をついていった。
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