アレクセイシリーズ

シェアワールド投稿作品「月夜の災い」



 車窓から見える景色はだんだんと霧深いものとなっていき、辺り一帯がすべて乳白色の靄がかった光景となるところで電車が止まった。
「着いたぞ」
 アレクセイの言葉でうつらうつらしていた私は目が覚めた。確か、私たちは東霧生ヶ谷駅で降りるはずだった。そう思って駅名表示を探すと、まさしくここがその駅だった。
 慌てて電車から降りると、私たちは日本ではありがちなプラットフォームに到着した。ここは霧が異様に深いほかは、何の変哲もなさそうな町だった。アレクセイは一体どんな用事があって、こんなところに来たのだろうか。
「あるひとと取引をしようと思ってね。まあその前に仕事をしなければいけないわけだが」私の頭の中を覗いたかのようにアレクセイが言った。
「仕事ですかあ」
 私はうんざりしてため息をついた。アレクセイの仕事はいわゆるオカルトというか霊や神と関わるもので、その上なんと言うか……詐欺みたいな商売なのだ。たしかに法に触れてはいないといえば(そもそもそんなものを規制する法律があるとすれば)そうなのだが、私は一度として彼の商売が公正だと思ったことはない。だったらなぜ私が彼と行動を共にすると長い話になるのでここでは割愛しておくが、とにかく私は仕方なくそうしているのだ。
「しかし、こうも霧が出ているとはな……困ったなあ」アレクセイは珍しく渋い声でそうつぶやいた。
「霧が出ると、何か支障でも?」
「天候を大きく変えるのは、私にとっても大仕事なんだよ」
 アレクセイはそれだけしか言わなかったので、私は釈然としない気分になった。
 私たちは駅を出るとすぐ近くのマンションの最上階にのぼって、その階に一つしかないインターホンを押した。
「すいません。以前壷のことで依頼されたものなのですが」
 ややあって、扉の鍵が開く音がした。扉の隙間から中年の男の顔が覗いた。
「ああ、やっときてくれましたか。どうぞ上がってください」
 私たちは言われるままに玄関に上がり、廊下を抜けて広い部屋に出た。マンションにしては豪勢なつくりである。この男は金持ちなのだろうか。それにしては貫禄がなく、どちらかと言えば憔悴しているのだが。そう思っていると、男は戸棚の奥から片腕で抱えるくらいの大きさの青磁の壷を取り出してきた。それをリビングのテーブルに置き、私たちにいすに座るように身振りした。
「これです。これに霊が憑いていると言われたのですが、除霊できる方が誰一人いなくて……」
 彼はハンカチを取り出すと別段この部屋が暑いわけではないのに額の汗を拭きながらそう言った。ほとほと困り果てているといった具合で、彼の憔悴は手にとるようにわかった。
 私はなんとなく事態を飲み込みはじめた。つまり、アレクセイはこの男を悪霊憑きというホラで騙そうとしているわけなのだ。男に除霊を勧めた人間も、嘘をついていないとは限らない。そしてそれで得た金で何かをしようとしているのだ。
「ほほう。見事な青磁ですね。中国のものですか?」
「ええ。宋の時代のものです。それで、何が憑いているかわかりますか?」
 性急に訊いてくる男を鷹揚にあしらうと、アレクセイは姿勢を正して言った。
「わかりますとも。この壷にはあまたの怨念がこもっています。除霊師たちが断念したのも無理はないでしょう。なぜなら、いいですか、これは中国で蠱毒を使うときに用いられた壷だからです。蠱毒そのものが効力を無くした今でも、この壷のようなものはなお怨念を持ち続けるものなのです」
「それで、あなたにはこれを清めることができるのですか」
「もちろん。それで、料金の件なのですが……」
「お金ならいくらでも払います。なんなりと言ってください」
「正直言って、私ほどの術者はこの世界でも少ないのです。その分料金が高くつくことは申し上げておきますが、私の方としましても適正価格を心がけております。それでこの除霊の値段なのですが、この壷とひきかえに除霊して差し上げるというのはいかがでしょうか」
「何ですって」
 男は青ざめた。アレクセイはたしかに、魔術において彼の右に出る者はいないと形容してもいいくらい強力な魔術師ではあった。しかし、力において優れる者が必ずしも誠実で善意に満ちているとは限らないのが世の実情というもので、この男は運が悪かったのだ、と私は結論した。アレクセイよりずっと非力といえども、より善良な者に助けを乞うべきであったのだ。ただしそれは彼の罪ではないのだが。
「このままでしたら、あなたは確実に殺されます。あなたの生命に比べたら、この壷などものの数ではないではありませんか。それに、この程度の悪霊ともなりますと、除霊にかかる金額も通常ならばもっとするはずだったのですぞ。もっともこれほどの除霊が可能な術者自体がごくわずかしかおりませんので、あなたのような一般の方々にはわかりにくいかもしれませんが。――それに、そのような術者と接触を持てたとして、彼らが私のように善良であなたの依頼を承諾するとは限りますまい。我々のような者はたいてい偏屈なものでしてね」
 アレクセイがここまで言うと、男はすべてを諦めたような表情でお願いしますと言って彼のほうへと壷を押しやった。私はまたこれで彼の犠牲者がひとり増えたなと思ったが、アレクセイの方はというと何食わぬ顔で壷を受け取って持ち上げ、ゆっくりと空中で逆さにした。
 驚いたことに、壷から黒い液体が零れてテーブルの上にぶちまけられた。たしか壷の中には何も入っていなかったはずであった。私が気味悪さと驚愕で身をのけぞらしていると、アレクセイは何か呪文のようなものを呟きながら液体を両手でかき集めた。
 液体が次第に粘土のように固まりはじめて彼の前に小さな山となると、アレクセイは懐から護符のようなものを取り出して細かくちぎり、黒い物質と混ぜあわせて泥団子よろしくこね丸め、口に入れて飲み込んでしまった。
「これで終わりです」
 団子を飲み込んでからアレクセイが言った。われわれは眼を丸くしていたが、アレクセイが立ち上がって壷を片手に帰ろうとするのを見ると私はあわてて彼の後についていった。部屋がこころなしか明るくなったように感じられるのは気のせいだろうか。実際気のせいだと思いたいのだが。
 呆然としている男を尻目にマンションを出ると、私は彼に訊ねた。
「で、どこまでが本当でどこからがうそなんですか? 壷の件は」
「私が嘘をついているとでも?」
「ええ。そうでなくても詐欺の一つは働いたと思いますよ。除霊とひきかえに壷そのものを要求するなんて、ちょっとひどすぎると思いますけど」
「そんなことはないさ。現金で請求する除霊師のほうが、実はずっと高くつくものなんだよ。それに蠱毒に用いた壷なんて魔術をやるには素晴らしい素材だから、みすみす野放しにしておいて悪意ある魔術師の意のままにさせるよりも、私が持っていた方が安全じゃないか」
「じゃあこれがここに来た理由の取引なんですか」
「いいや、それは違う。取引は夜にならないとできないんだ」
 それってどんな違法行為ですかと思ったが、そう忠告する気にもなれず私はアレクセイと一緒に夜になるのを待った。町を覆い隠す霧はいくらたっても晴れず、群青の闇が降りてくる頃になっても水路からは朦朦と靄が立っていた。これでもっと太陽が明るく、華やかだったらヴェネチアのようだと言えただろうな、と私は思った。それか、石造りの塔や建物が立ち並んでいたら霧深きロンドンとでも呼べただろうか。
 しかし、ここはそのどこでもなく、馴染み薄い日本の地方都市であった。私はふと寂しさを覚えた。
 アレクセイは私を人気のない路地裏に連れて行くと、その場で天を仰ぎ、片手を上に突き上げて印を結んで精神を集中させるそぶりを見せた。彼がこんなにも集中するとは、一体何をはじめるというのだろう。
 すると、今まで町全体にたちこめていた霧がみるみる消え、夜空に星が輝きはじめるのが私には見えた。いつの間にか、中天には澄んだ月が輝いていた。
 ふと見ると、私たちの目の前に見覚えのない店が一軒、家と家との間に唐突にあった。しかしさっきまではなかったはずである。骨董屋のような店で、ショーウインドウの内側にこまごまとした品物が置いてあった。
 アレクセイは迷わず店の扉を開けた。私も続いて扉をくぐると、中に入った。
 店の中は明るい暖かさに満ちた空間だった。なんだかわからない品物がごちゃごちゃ展示されている棚が壁全体に設けられ、その奥には黒檀の机があり一人の白髪の老人が座っていた。
「こんばんは」
 アレクセイが老人に挨拶した。その様子はどこか普通の人間と接するときよりわずかに丁重であり、また老人に対して好感が持てたので私も軽く会釈した。
「美しい月ですね。この町の霧がこんなに晴れるとは珍しい」
 老人がのんびりとした口調で言った。
「そうですねえ」
 アレクセイは他人事のようにそう言うと、手に持った壷を机の上に置いた。
「これならば、あれと交換するのに申し分ない品物だと思いませんか。中国の宋の時代に、蠱毒に用いた壷です。これほどの逸品は世界に数少ないでしょう」
「まだあれのことが諦めきれていなかったのですか。――いいでしょう。そんなにおっしゃるならば、その壷とひきかえに売って差し上げます」
 老人はそう言うと店の奥に行った。私たちが彼が戻ってくるのを待っていると、突然ガラス窓を何者かが激しく叩いた。
 アレクセイは店の扉を開けた。すると、半透明の鉤詰めのついた巨大な触腕が彼に向かって振り上げられた。
 彼はとっさにそれをかいくぐり、触腕をつかんでその本体に掴みかかった。すぐにその怪物らしきものは彼から離れたようだが、第二、第三の怪物が彼に襲い掛かってきた。この店の外にはたくさんの怪物がいるらしい。さすがのアレクセイも数で押され、次第に形勢不利になっていくように見えた。
「ヨハネス、あの壷をくれ!」
 アレクセイが叫んだので私は無我夢中で壷をつかむと彼に向かって投げた。アレクセイは自由な片手でそれを受けると、宙に向かって天高くそれを投げ上げた。
 壷は、澄んだ淡い光とともに暗い天空に向かってまっしぐらに放たれた。怪物たちも、それを追うようにして空に舞い上がっていった。アレクセイのことはもうどうでもいいらしかった。
 アレクセイは店に戻ってくると、やれやれといった表情で肩をすくめた。
「一体なんだったんですか」
「空鬼……いや、それに似ているが、そんなものではないな。次元の狭間にいる得体の知れないものだ。一体ずつなら追い払えるんだが、なにぶん数が多くてね。壷を身代わりにするより他になかったんだ」
「では、取引はもうできませんね」
「ああ、そうだなあ」
 そんな会話をしていると、老人が戻ってきた。
「おや? なにか起こったのですか」
「ええ。壷を失ってしまいました。どうやらこの町は霧によってさまざまなものから守られているようですね」
「おお、お気づきになられましたか。あの霧は一種の結界の様なもので、悪意ある異世界の存在を弾くのですよ。あなたがその結界を取り払って、いったいどうなることやらと思っておりましたが」
「そうですなあ。もう私としても取引することはできませんが、すぐに帰ってしまうのも野暮というものです。どうですか、月でも見ながら酒でも飲みませんか」
 アレクセイがそう言うと、老人はにこやかにうなずいた。
「よろしいですなあ」
 老人は店の奥からブランデーと素晴らしく精緻な天球儀を持ってきて、グラスにブランデーを注ぐとアレクセイと私に渡してくれた。
「やはり、この天球儀はいいものですね」
 アレクセイが賛嘆した口調で言った。ブランデーをすすると、手で軽く天球儀をくるくると回した。
「ええ。私のもっとも貴重な宝の一つですとも」
 そう言うと、二人はガラス窓越しに見える美しい月を眺めた。まあ、これが災いの元でもあったのだが。そう思って私はそっとブランデーを一口飲んだ。

 老人と語り明かした翌朝私たちが店を出て振り返ると、骨董屋はもう消え失せてしまった。
「不思議な店ですね」私はそう言うほかなかった。
「うん。真実この世界に属しているとは言いがたいからね」
「しかし、今回の遠出は無駄骨でしたね」
 そんなことを言っていると、ビジネススーツに身を包んだ青年が私たちの前で立ち止まった。
「すみません。霧生ヶ谷市の生活安全課不思議対処係の者ですが」
 私は面食らって立ち止まった。不思議対処係だって。それはオカルトを管理する役所なのだろうか。ならなぜアレクセイのような者を逮捕しないんだろう。
「ええと、昨晩ここで大規模な魔術を目撃しませんでしたか?」青年はいかにも自信なさげに魔術という単語を口にした。
 魔術というのは昨晩のあれだろうか。この町の霧を払ってしまったことがなにか日本の法律に触れたのなら、私がここで本当のことを言うのはまずい。
 そう考え込んで黙っていると、青年は私が日本語を判らないと思ったのか英語でDo you……と訊きはじめた。私は慌てて
「日本語わかりますよ」と言った。大体どうして、日本人は外人を見ると英語で話しかけたがるのだろうか。私は一応話せるから仮定の話だが、英語を知らない外人がいるとは思っていないのだろうか。
「ええと、よくわかりませんが昨日は何もありませんでしたよ」
 唐突に私の背後でもくもくと豆乳ドーナツを食べていたアレクセイが代わりに答えた。こいつは今までずっと道端でドーナツを食べていたのだ。立ったままなんて行儀の悪い。
「あー、……そうですよね。ありがとうございます。もしなにかありましたらこちらまでお電話ください」
 青年は照れ笑いしながら名刺を差し出した。「霧生ヶ谷市生活安全課不思議対処係 名取新人」と書いてあった。生活安全課の面々がみな彼のような手合いだったら、アレクセイの詐欺行為など到底見抜けるものではないのだが。
 青年にいたってにこやかに挨拶をすると、アレクセイと私は一直線に駅へと向かった。
「ちょっと焦りましたよ。しかし、魔術を管理する役所があったとは驚きです」
 東京に向かう電車にとび乗って一息つくと、私はそう言った。
「まあ形なりにも、といったところだがね。しかし魔術に関わっているのはあの役所だけではなくあの町全体だから、次に来るときがあったらもっと楽しもう」
「楽しむですって。注意するの間違いだと思いますけど。大体、それであなたの行為が見咎められて逮捕、なんてことになったらどうするんですか」
「私が法を侵すなんてありえないよ。私は一応、ゲームはルールにこだわらなければいけないと思っているんだぜ」
「それはともかく、私たちが再びこの町にくることなんてないと思いますがね」
 そう言いつつ、私は心の中でむしろ再び来ることがありませんように、と付け加えた。だがそれはアレクセイに言っても仕方のないことなので、自分の胸にしまっておいた。
 唐突に車窓の霧が晴れ、まもなく次の駅に到着するというアナウンスが流れた。
 これが、私たちの一度目の霧生ヶ谷への訪問であった。
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