アレクセイシリーズ

銀の小像

 <翡翠の都>トリマラクの朝の市場でアレクセイとヨハネスがいつものようにラベンダー色の敷石に腰を下ろしていると、この都では悪名高い徴税人がひとりそこにやってきた。
「そこのお前たち、市場税は払っているのか? 許可状を得ない者が通りに座り込むのは法律違反だぞ」
 徴税人はそう言うと、仁王立ちになって彼らを見下した。アレクセイは肩をすくめた。
「税金など払っていませんよ。なにしろ、私たちは五日前にここに来たばかりなんですから」
「問答無用だ。今すぐ払えないのなら逮捕してやる」
 そう言うと、徴税人は二人を掴んで、彼の番小屋まで連行しようとした。
「待ってください。私の商品を仕舞う時間くらいくださいませんか。このまま放っておいたら盗まれてしまいます」
 アレクセイのあわれげな言葉に、徴税人は歯をむき出して嘲笑した。
「盗まれるだと? 盗人にも三分の理ありというが、厚かましすぎるぞ。お前のガラクタなど誰も欲しがりはせんわ。お前が騙した客以外はな」
 そう言うと、彼は二人を番小屋に連行して、その両手を縄で後ろ手に縛った。
「俺はこれから兵隊を呼んで、お前たちを収監させる。それまで逃げるなよ」
「待ってください」
 アレクセイは立ち去ろうとした徴税人に向かって呼びかけた。
「どうかこの縄を解いて、私たちを見逃していただけませんか。私たちは商売をしなければ一文無しですし、税を払わなかったものに科される苦役には耐えられません。そのかわりに、あなたの望むものを差し上げましょう」
「お前が俺の望むものを持っている? そんなたわごとに耳を貸す気はないな」男はせせら笑った。「そんなものを持っているなら、税も払えるんではないかね」
「たしかに、私は富も権力も持っているわけではない。しかし、あなたがまことに望んでいるものなら持っています。――神が欲しくはありませんか。ご自分自身の神が」
「神だって? 俺は父祖の神々で十分だ。神殿に行けば願いを聞いてくれる神など数え切れないくらいあるんだぞ」
「いえ、あなたはそれを欲しておられるはずです。あなたの願いをかなえ、あなたの心を慰めたまう神を、私は差し上げようといっているのです」
 徴税人はどうしたものかという思案顔だったが、ついに言った。
「それはどこにあるんだ?」
「私の腰に下げた、黒い皮袋の中にあります。……そう、それです。それに向けて、なにか一つ願ってみてください。小さな願いですよ。最初は、小さな願いからはじめるものです」
 男は黒い皮袋の中から、小さな銀の像を取り出した。その顔は人に似ていないこともなかったが、全体的にたくさんの獣の姿を寄せ集めた奇怪なかたちをしていて、その三つの眼には小さな紅玉が光っていた。
 すると、そのうちに徴税人の顔はぱっと明るくなった。
「今、なにかが俺の願いに答えてくれたぞ。今日は楽をして儲けられるかもしれない。これはきっと、幸運の精霊かなにかだな!」
「ならば、私たちの縄をほどいてください」アレクセイはすかさず言った。
 徴税人は言われたとおりに二人の縄をほどいてやったが、ふと不審に思ってアレクセイにたずねた。
「なぜ、こんなに霊験あらたかなものを自分のために使わないのだ?」
「私は他に神を持っていますのですよ」ヨハネスはアレクセイに信じる神がいるとは思えなかったが、アレクセイは平然としてそうこたえた。
「あるいは、もっと大金で他の客に売るとか……」
「身の安全より高い代償はありませんよ。それでは、私たちはおいとまします。助けてくださってありがとうございました。――ご幸運を」
 アレクセイはヨハネスをうながすと、商売用の笑みでそう言った。
「もちろんだ」

 それから幾日か後のことである。彼らがいつものように露店を広げて座っていると、そこにやつれてひどいありさまの男がやってきた。短期間のうちに急激に憔悴したような表情をしていたが、その眼は熱っぽく輝いていて崇高とも思えるほどであった。
「どうなさったのですか?」
 アレクセイが大して驚いてもいないような声でたずねた。
「俺はこのまえお前たちを見逃してやった男だ」そういう男の声は紛れもなくあの徴税人のそれだったが、その顔がもはや以前の粗野な傲慢さに満ちたものではなく、どこか常軌を逸した者かそうでなければ宗教者のようであるのを見て、ヨハネスは不快な驚きを感じた。
「あれから、俺の身にさまざまなことが起こった……それでこのありさまだ。あの神の正体は一体何なのだ? 俺は悪魔に魅入られでもしたのか? 俺はお前たちを結局のところ助けてやったのに、なぜ」
 そう言いかけると、男の顔はひどい苦痛でゆがんだ。しかしすぐに平静をとりもどすと、今度は荒い息をつきながらも自信に満ちた態度で微笑んだ。
「いや、なんでもない。俺はあのときから変わったのだ。お前がくれたあの神は、木や石の偶像とは比べもつかない真実の神だとも。俺は一生をあの神に捧げていくつもりだ。そう、俺はこれからわが主に仕えるためにこの都市を離れる。そのまえに、お前たちに真実への道の手引きをしてくれた礼をいっておきたくてな」
「真実。そう、真実を見出す道は険しいものですが、あなたがそれを見出すことができるよう、私も願いますよ」
 アレクセイが含み笑いをしながらそう言うと、男は満足そうにその場を去った。不吉な予感を感じたヨハネスがアレクセイに尋ねた。
「あれは、なにか邪なものではありませんか。神というよりも、むしろ悪魔のように思えます」
「あれはたしかに神だ。しかし、いかなる暗黒の中にすまうものであるかは、あの者は永久に知らないだろう。そう思う心など残っていないだろうから」
 ヨハネスはぞっとした。「あなたは彼をはめたんですか」
「あの存在はしもべを欲していた。私はその手助けをしただけだよ。誘いに乗ったのはあの男自身だ」
 そして、呟くように付け足した。
「神というものの本質はみな、たいして変わらないものだ」
 ヨハネスは、あの徴税人のゆくすえに思いをめぐらした。そう、しかし、アレクセイのような存在が保身のために差し出す贈り物などに、益になるようなものなど何一つないのだ。なんとも残酷な話ではあるが。
 
 それから二度と、徴税人の男の姿が人の目に触れることはなかった。

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